漫画家の清野とおるさんは『東京都北区赤羽』という作品で注目を集め、タレントの壇蜜さんの旦那さんであることでも知られています。そんな清野とおるさんの素顔はイケメンなのでしょうか。また、清野とおるさんが売れるまでの道のりも気になりますよね。
そこで今回は、漫画家・清野とおるさんの素顔はイケメンなのか、経歴や年齢などを紹介します。
清野とおるの素顔はイケメン?
近年はコロナの影響もあり、マスクをしている人が多くいますが、清野とおるさんはそれとは関係なく、いつも着けているそうです。そのため、清野とおるさんは素顔を公表しておらず、過去に出演した番組でもマスクを着用していました。ただ、清野とおるさんの素顔は2013年に漫画家、漫談家である林屋ペーさん、パー子さんのブログで公開されており、凜々しい顔立ちをしています。
また、清野とおるさんが常にマスクを着けているのは、顔がバレて取材がしにくくなるのを防ぐためだそうです。
清野とおるの経歴や年齢は?
漫画家、エッセイストとして活動している清野とおるさんですが、現在のように売れるまではかなり苦労したと言われています。では、清野とおるさんはどのようにして漫画家になったのでしょうか。それでは、清野とおるさんの経歴や年齢を詳しくみていきましょう。
学生時代
清野とおるさんは1986年に板橋区立志村第四小学校に入学し、1992年に板橋区立志村第二中学校に進学しました。1995年、清野とおるさんは成立学園高校に入学し、高校時代から雑誌VOWへの投稿を始め、1997年には処女作となる『猿』という作品を週刊ヤングマガジンに投稿して新人賞に入選しました。
デビュー
1998年、清野とおるさんはヤングマガジン増刊青BUTAにアニキの季節が掲載され、漫画家デビューしました。しかし、その後は思うようにいかず、清野とおるさんは週刊ヤングジャンプに移籍し、大学在学中に『青春ヒヒヒ』と『ハラハラドキドキ』という作品を連載するも半年で打ち切りになってしまったようです。
そして、連載がなくなったことで実家にも居づらくなり、清野とおるさんは2003年から東京都北区赤羽に引っ越しました。
転機が訪れる
清野とおるさんは東京都北区赤羽に引っ越したことをきっかけに、代表作となる東京都北区赤羽の原型となる作品を生み出すことができました。東京都北区赤羽を舞台にしたエッセイ漫画を出版社に持ち込むも、ボツになってしまいますが、個人ブログに投稿したことが話題になります。
そして、2008年12月からケータイ★漫画王国で東京都北区赤羽の連載がスタートするようになりました。東京都北区赤羽はメディアで特集が組まれるほど人気となり、東京都北区赤羽ではワンピースよりも売れていると言われるほどの作品になりました。
ドラマ化
運営元が撤退したことから東京都北区赤羽の連載が終了してしまいましたが、2013年4月からは漫画アクションで続編となる『ウヒョッ!東京都北区赤羽』の連載がスタート。
そして、2015年1月からは東京都北区赤羽を題材にした、山田孝之の東京都北区赤羽というドキュメンタリー風ドラマが放送されました。さらに、2016年には『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!』が、2021年には東京怪奇酒を題材にしたドラマも放送されています。
年齢は45歳
清野とおるさんは1980年3月24日生まれの45歳です。高校在学中の1998年にデビューし、本格的に売れるようになったのが2008年頃なので、10年以上も試行錯誤を繰り返し、活動を続けてきたようですね。
また、清野とおるさんが壇蜜さんと結婚したのは39歳の頃で、年齢差は1つしか変わりません。
まとめ
今回は、画家・清野とおるさんの素顔はイケメンなのか、経歴や年齢などを紹介しました。清野とおるさんが売れるきっかけになったのは、東京都北区赤羽で1人暮らししたことが大きく関係しており、ボツになっても諦めなかったことが良かったのかもしれないですね。
また、最近では壇蜜さんとの馴れ初めなどを描いたノンフィクション漫画『壇蜜』を連載しているようなので、注目していきましょう。